自分を否定したり責めたりするとき、そこには、「しなければならない」「こうあらねばならない」という考えや価値観がありませんか。
でも、その考えや価値観の成り立ちをひもといていくと、それは、「ただの幻」で、そういうものだと「思い込んでいる」だけだと気づけます。
「みんな」や「世間」と言う名の「幻」に舵を取られる人生ではなく、「思い込み」を捨て、「わたしが舵を取る人生」を生きる!と考えるだけで、世の中の見え方は変化する、人生はずっとずっと愉快になる!
今回は、「しなければならない」や「完璧な○○」から自分を解き放して、もっと自分に優しくしても大丈夫、その方が愉しい、というお話(^^)
当「愉快に生きる」シリーズでは、 わたしらしく愉快に生きたい!と願う元新聞記者アラ還母が、人生や子育て、仕事、日常生活のなかで、困ったり迷ったりしたときに助けられた「愉しく生きる知恵」や「癒やされた考え方」や方法を、エッセイとともにお福わけします。
第5回エッセイ ”もずく&焼き鳥” が 母を救う
料理は、ほとんどしたことがない、興味もないし、しないから苦手意識もある。
コレ、若い頃のわたし。
結婚後も、記者の仕事が激務で、ほとんど家で食事をする機会もなかったので、カレーやシチュー、簡単な焼き物や煮物くらいでやり過ごしていました。
🍙🍙
そして、出産し、働く母となった、今から25年ほど前。
午後6時半、最寄り駅に直結したショッピングビルの食品売り場には、安売りを告げる声がひびいていました。
仕事帰り、電車を降りたら、まずここに直行し、夕食のおかずを買ってから、保育園に娘を迎えるのがわたしのルーティン。
平日の半分は、ベビーシッターさんに保育園のお迎えから寝かしつけまでお願いしていて、その場合は、娘とシッターさん用の夕食は、夫かわたしが前夜に作り置きをしていました。具だくさんのカレーかシチュー、チャーハンがほとんどでしたが。
わたしがお迎えの日は、だいたい決まって食品売り場がキッチンがわり。
たまたま、「焼き鳥」が特価になる曜日だったので、娘の好きな「モモ」「つくね」を中心に、わたし用の「レバー」と、数種類の串をゲット。「もずく」は、なぜ買ったのたか思い出せませんが、焼き鳥とセットで買うのが恒例でした。
そんな行動がいつしか保育園仲間に知れ渡って、「今晩も焼き鳥ともずく」が合い言葉のようになったまま、娘は卒園。
それから、数年後のことです。
あるママ友Mさんから、いきなりお礼を言われました。
「あのとき、『夕飯は、買ってきた焼き鳥ともずくだよ』って目の前で見せられて、わたしは本当に救われたのよ。ありがとう」と。
当時、保育園に子どもを預けてフルタイムで働いていたMさんは、料理も得意で栄養にも詳しく、おいしくて栄養価の高いものをなんでもササッと作り、家事も仕事もスイスイこなすイメージ。休みの日には、冷凍庫いっぱいに1週間分の作り置き料理をしていた印象があるけれど?
実はわたしと同じで、土日はたまった洗濯や掃除に買い出し、平日できなかった用事をこなすだけで精一杯。普段一緒に居られない子どもとお出かけしたり、いっぱい遊んでもやりたい。
繁忙期には自分もクタクタで睡眠だってとりたい。そんななか睡眠時間を削って作り置き料理を1週間分つくるのはキツくてつらかった。Mさんも平日夜7時まで保育園にお世話になっていたから、毎晩料理するのは子どもも待てないし、現実問題、働く母の帰宅後は戦場でバタバタ。
でも、料理をしないと「母親として失格」の気がして、子どもの栄養も気になったし、「母親が愛情をこめて手作りしないと良い子に育たない」というプレッシャーもあったといいます。
そんなときに、堂々と「特価の焼き鳥ともずく」を買って、あっけらかんと夕飯のおかずにするわたしを見て、「ああ、これでいいんだ。そう思ったら、心からホッとして、楽になった」と振り返ります。
Mさんは園長先生にも悩みを打ち明けていたそうで、先生から「保育園で栄養管理した給食や夕方の軽食をしっかり食べているから、手作りでなくても大丈夫。子どもの栄養も問題ないし、ママの愛情も伝わりますよ」と励まされていたそうです。
そうかぁ、知らないところで人助けしたかしら⁈
でも、わたしも、当時、そもそも料理は嫌いだし、育児と仕事をギリギリで回し、迷い悩みっぱなし。「料理を軽くこなせる母親にならなくちゃ」というプレッシャーと、「母親なのに料理はあまりしたことがなくて、自信が無い」という恥ずかしさもありました。
だから、
保育園の先生方から「無理して料理に追われバタバタしなくていいですよ。その時間を、ママが笑顔で子どもと向き合う時間にあてたら、子どもは嬉しい。何から何まで完璧にしようとしないで」とアドバイスされ、心強かった。
そんな後押しもあり、焼き鳥ともずくを堂々と買えていたのです。
ひとはロボットでないから何から何までできないよなぁ。「完璧」なんて無理。
と考えて、
ん⁈ あれ⁈ ちょっと待った!
なぜわたしは「料理を軽くこなせる母にならなくちゃ」と思っていたんだろう?
料理をしない母は恥ずかしくて、「完璧な母」ではないの⁈
「完璧」とは何だろう? 「家事が苦手な母」は、恥ずかしい⁈
当時は気づかなかったけれど、冷静に振り返ると、
すくなくともMさん家もわが家も、子どもに何をどう食べさせるか悩み、「母として完璧」にできない自分を責めて悩み、「完璧でなくていい」といわれてホッとしたのは、「母親」だけ。
「父親」であるMさんの夫もわたしの夫も、特に悩まず、困ってもいなかった。
もっといえば、「育児と仕事の両立」で悩み、迷い、困っていたのは、母親だけ。
それは、なぜ~?
そこには、「母親=料理をする」「母親=育児をする」という前提があって、 その前提を「クリアしなければならない」と考えるから。 だから、Mさんもわたしもプレッシャーを感じ、 一方で、 そんな前提がない父親たちは、「育児と仕事の両立で困っている母親」を助けているだけで、「偉いわね」と褒められていました。
30年前、結婚当初に、夫の母から言われました。
「あの子(夫のこと)は、家事をするあなたを手伝おうと一生懸命やっているでしょ。だから至らないところが多いけれど、許してね」
え⁈ お義母さん!
許すも何も、わたしも家事はしたことがないです。わたしは一人暮らしが長いけれど、自分の世話しかしていない。特に料理は、ほとんどしたことがない。
ふたりとも仕事を持ち、同じように長時間勤務で多忙、家事初心者なのもお互い様。
だから、「女は家事を当たり前にやる」という前提(価値観)は化石級に古いし、もはや「妻が主で、夫が手伝い」という考えも古いですよ~、
苦手だとか、できないとか言い訳してないで、家事は夫婦同等にやらなきゃ、わたし、潰れてしまいます、、、。
と、その場で義母に言わなかったのは、(言わなかったんかい!)、
「女は家事をして当然」、さらには、「完璧に家事をこなしてこそ妻」という絡みついた価値観(思い込み)が、確かにわたしにもあって、
家事、特に、料理が好きでなく、したいとも思わない自分に対して、「”女なのに” 恥ずかしい」と思っていたから。そして、それを隠して、「家事も料理も ちゃちゃっとできるフリ」をしたかったから。
大学生のころ、こんなこともありました。
所属していたスポーツ系サークルでは、競技大会があると、決まって、女子だけが参加人数分のお弁当を作っていました。朝、お弁当作りのために早起きして、唐揚げを揚げたり、何十個もおにぎりを握ったり。男子は応援で、女子が大切な試合を控えていても、状況はどうあれ、「お弁当作りは女子がする」。わたしは本当に嫌だったし、面倒な気持ちもありながら、「 “女だから” 作らなければならない」と思い込んでいました。
ところが、1つ下の学年が加入して、サークルにさざ波が起きました。
あるひとりの女子学生が「わたしは作りません。料理は嫌いだし、女子というだけで作るのはおかしい」と異を唱えたのです。
「そうか、たしかにそうだ!」と、わたしは小さく快哉を叫んだけれど、その場の空気は、しらけムード。男子はもちろん、女子も「なにを言っているのかしら~?」という冷ややかな反応で、
結局、その女子学生の立てたさざ波は大波になるどころかあっと言う間に凪いで、その後もわたしたち女子は、せっせとお弁当を作り続けました。(異を唱えた彼女を除いて)
80年代初頭の大学生の意識として、ごく「普通」の反応だったと思います。
”完璧な○○” とは、 まぼろし~!
変化する「しなければならない」「こうあるべき」
「料理や家事は、女性の仕事」という価値観に、「嫌だなぁ」と息苦しさを感じながらも、「女性なんだから、料理や家事が当たり前にできなくてはならない」と思いこんでしまった、わたし。
どうして、思い込んでしまったのかな⁈
面白い意識調査があります。
アラ還母のわたしが小学生のころ、 「男は仕事、女は家庭」という考え方に、 「賛成」が83.2%(「賛成」48.8%、「どちらかといえば賛成」34.4%) 「反対」が10.2%(「反対」2.6%、「どちらかといえば反対」7.6%) 「わからない」6.6% 「婦人に関する世論調査」(内閣府 昭和47年) アラ還母のわたしが大学生だったころは、 「男は仕事、女は家庭」という考え方に、 「同感する」43.1%、 「同感しない」26.9%、 「どちらともいえない」28.0%、 「わからない」2.0% 「女性に関する世論調査」(内閣府 昭和62年)。
わたしが出産したころは、 「夫は外で働き,妻は家庭を守るべきである」という考え方に、 「賛成」が 57.8%(「賛成」20,6%、「どちらかといえば賛成」37.2%)、 「反対」が 37.8%(「反対」13.8%、「どちらかといえば反対」24.0%、) 「わからない」は4.4%。 「男女共同参画社会に関する世論調査」(内閣府 平成9年)
わたしたちアラ還世代は、圧倒的多数が 「男は仕事、女は家庭」という考え方 だったなかで子ども時代を育ち、
大学生のころも結婚し出産したころも、 依然、「夫は外で働き,妻は家庭を守るべきである」という考え方が多数派をしめる社会で過ごしていました。
なるほど、だから、
「 ”母親” は、愉しく上手に料理をしなければならない」と思い込んでしまって、
嫌いだったり興味がなかったり、できなかったり上手くないと恥ずかしくなり、罪の意識を感じ、自分を否定したくなったのか!
ところが、
令和のいま、 「夫は外で働き,妻は家庭を守るべきである」という考え方に、6割近くの人が反対しています。
賛成と反対の立場はすっかり逆転してしまいました。
言いたかったことは、
ご覧の通り、
”社会の意識” ”価値観” は、時代で変わっていく!ということです
実際、
アラ還のわたしが学校で「教育」を受けていたころは、女子のみが「料理」を学んでいましたが、
30年後、娘の時代は、生徒は包丁を手に料理もするし、半田ごてを使って電子工作もしていました。
わたしは、「女性は料理ができて当たり前」という空気がとても息苦しくて、「女性なのに、料理が苦手で恥ずかしい」という気持ちにもなりましたが、
20代の娘は、料理ができなくても、そんな気持ちには全くならない。
「教育」で、こんなにも「意識」や「心のあり方」は変わるのです。
自分で自分を束ねない 枠にはめない
ある一時期の「教育」が作り上げた「あるべき姿」が、わたしたちにすり込まれて、「世間」という多数派「みんな」が生まれ、それが、「あたりまえ」「常識」となり、自分を苦しめることがあります。
多数派の価値観で生きていないとき、不安になったり、迷ったりするけれど、
ご覧の通り、意識は変化し、「あるべき姿」「完璧な姿」「理想的」なんて、たまたま、その時代だけの、その場所だけの、一瞬の姿。消えゆく「幻」。
いま、「家事や育児に専念したい!」と思うならば、”生きづらい” かも知れません。
でも、「したい!」と感じる道を歩めたらいいなと思います。
だって、どうせ、多数派の価値観は変化するから、「幻」=「みんな」に合わせて、「自分」を殺すのはもったいない。
家庭運営について向き合うべきは、ともに歩む「パートナー」と(^^)
そうだ! 「あるべき姿」 なんて「幻」なのだ~
そう認識してみるだけで、
”世間の価値観”=「幻」 に合わせて、「しなければならない」「こうあらねばならない」とプレッシャーを自分に与えるなんてバカバカしくて、
自分を否定しなくていいし、責めなくてもいいことに気づけました。
いまでも、料理が、「しなくてはならないこと」で、「栄養もおいしさも考えて完璧に作らなければ」と考えただけで、身体を締め付けられるような感じがして、窮屈で、逃げ出したくなってしまう、
そんなわたしを助けてやりたい。
わざわざ、「幻」でしかない「枠」に、せっかく自分として存在する「だれでもない わたし」を当てはめたくない!
いま、目の前の多数派が、わたしとは異なる価値観で生きているのだとしても、
せめて、わたしは、「幻」から「わたしのこころ」を解放したい。
料理は嫌いでOK!と。
まずは、そこから始めたい。
自分に優しくすることを 自分に許す
いや、自分に満足なんてできない、この生活は思い描いた理想ではない、現状では足りない、完璧ではない、、、と思うとき、
わたしは、
① 具体的に何に満足できないのか考えてみます。
それは、自分が変えられることか、自分では変えられないことか、考えます。
② 自分が変えられることならば 行動を起こす、何かを始めよう!と自分に声をかけます。 「なりたい自分」に向けて行動しよう!と、自分で自分を励まします。
「料理が得意になりたい!」ならば、40代でも50代でも遅くない。
「しなければいけない」ではなく、「したい!」と思ってスタートしたら、きっと愉しいし、好きこそものの上手なれ(^^)
わたしが、「母親だからしなければならない料理」→「おいしいモノが食べたいから作りたい料理」に、心持ちが変わったきっかけは、40代で、夫の転勤に伴い、海外暮らしをしたことでした。
異国で、食べたいものやおいしいものが売っていないこと、慣れない現地校に通う子どもに好物を作ってやりたかったこともあって、料理本やネットを見ながら料理をし始めたら、あらま、意外と簡単。しかも、おいしくできる。アレンジするのも愉しい!
周囲からは「あなたのキッチンは実験室」と呼ばれ、家族からは「これ、何?」と聞かれることもしばしばだったけれど、
”自分や家族が食べたいものをおいしく食べたいから作る料理” には、「焼き鳥ともずく」時代に感じていた、あの料理への息苦しさはありませんでした。
では、次に、
③ 自分では(その状況や問題を)変えられないことならば、 自分の考え方や価値観をすっかり変えたら、何か変化は起きないか、と考えてみる。 自分の考え方や価値観は、しょせん、「思い込み」や「幻」なのだから。 自分を苦しめる「幻」は、要りません。
たとえば、
「偏差値の高い学校は素晴らしい」「一流企業に入ったら安泰」「友達が多いほうがいい」「家族は仲良し」「結婚したほうがいい」「子どもを産むべき」「一人っ子はかわいそう」「男性は泣いてはいけない」「男は女を守るべき」。。。うーむ、それは、わたしにとって本当かな?
心から本当に「自分」がそう思っているのかな? と自分の心に聞くことが第一歩。
だって、「世間」や「誰か」が、あなたにそう思い込ませているだけかも知れません。
もし、あなたが、「こうあるべき」「あたりまえ」と考えていることを窮屈だなと感じるならば、
実体のない ”完璧な○○” を捨て、自分を苦しめているものから自分を解放して、
自分にやさしくすることを自分に許そう
そして、
「しなければならない」や「あるべき姿」という「幻」を捨てたら、
代わりに、
「したい」や「わたしの姿」に目を向けてみたい。
「料理をしっかり作らなければならない」や「母親は料理ができて当然」という価値観を手放したら、代わりに、
「学びたい」や「文章を書くことが好き」という「わたし」を感じて、大事に育てていきたいと思います。
そうすると、
「これが、わたしだ!」という自由で清々しい気持ちになります。
あとがき
ある一時期の「教育」が作り上げた「あるべき姿」が、わたしたちにすり込まれて、「世間」という多数派が生まれ、それが、「あたりまえ」「常識」となり、自分を苦しめることがあります。
でも、時代は確実に変化し、多数派が作り上げる価値観も変わっていく。だから、誰かが作り上げた価値観なんてポイッと捨ててしまおう。どうせ、「幻」だから。
それより、自分がしたいこと、愉しいこと、心地いいことはなんだろうと考えたり、
自分の好きなこと、得意なこと、したいことをする、その自分を大切にしたい。
「幻」から押しつけられた「しなければならない」ことをするのでなく、
だれもが自分の好きや得意を生かし、ひとりひとりの異なる「好き」が重なり合って貢献できる社会になれば、いまよりずっと生きやすくなると思いますが、いかがでしょうか。
ちなみに、料理に関しては、いまは、テイクアウトやデリバリー、お取り寄せも利用して、スーパーやコンビニ、(コロナ禍以前は)デパ地下や外食も活用。冷凍食品やレトルト、フリーズドライや缶詰などもおいしいし、いい時代になった!
いまのお気に入りは、お取り寄せと、ミールキット(^^) 以下の記事でお福わけしています!
アラ還母が実践しているリラックスの方法を「セルフケア&セラピー」シリーズで各種、お福わけしています。心も身体も無理なく、愉しく(^^)
ご自分に合った癒やしの方法が、きっと見つかります。
是非、お試しください!